「廃線危機を救えるか 地方鉄道、観光列車で全国から客を呼ぶ」「『走るレストラン』が地方を変える 地域密着型鉄道の挑戦」
2016年7月17日の報道概要
利用者の減少が続く全国各地の地方鉄道で、観光列車の導入や運行を強化する動きが広がっている。人口減少やマイカーの普及により厳しい経営環境が続く中、鉄道を単なる移動手段ではなく、「乗ること自体が目的」となる観光資源として活用し、地域の活性化につなげようという取り組みだ。
各地では、地域の特色を生かした車両デザインや地元食材を使った食事の提供、車窓からの景観を楽しめる演出など、それぞれの沿線の魅力を前面に打ち出した観光列車の運行が相次いでいる。絶景ポイントで速度を落として運転したり、車内イベントを開催したりするなど、旅そのものを楽しんでもらう工夫も進められている。
地方鉄道を取り巻く経営環境は依然として厳しいものの、観光客を地域へ呼び込み、沿線経済の活性化につなげる新たな取り組みとして、観光列車に寄せられる期待は高まっている。
2016年7月当時の背景
2016年当時、多くの地方鉄道は人口減少や少子高齢化、自家用車の普及を背景に利用者の減少が続き、厳しい経営環境に置かれていました。国土交通省によると、地方の鉄道事業者の多くが赤字経営となり、沿線自治体では「路線を維持するか、バスへ転換するか」という議論が各地で進められていました。
こうした中、JR九州の「ななつ星 in 九州」や、京都丹後鉄道の「丹後くろまつ号」など、鉄道そのものを旅の目的とする観光列車が全国で相次いで誕生しました。さらに、スマートフォンとSNSの普及により、美しい車両デザインや車窓風景、車内で提供される地元グルメの写真が拡散されることで、高い宣伝効果が期待されるようになりました。
地方鉄道は単なる移動手段ではなく、地域の魅力を発信し、沿線住民以外の観光客を呼び込む「観光資源」へと役割を変え始めていました。鉄道という古くからのインフラが、SNS時代の新しい観光の入口として生まれ変わろうとしていたのです。
2026年現在の状況
2026年現在、観光列車は全国各地に定着し、地方鉄道を支える重要な観光資源となっています。JR九州の「ななつ星 in 九州」は開業から10年以上が経った現在も高い人気を維持し、予約倍率が数倍に達する運行も続いています。また、JR西日本の「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」や京都丹後鉄道の「丹後くろまつ号」、大井川鐵道の観光列車なども、地域の食や景観を楽しめる列車として国内外から多くの観光客を集めています。
一方で、観光列車だけで地方鉄道の経営を支えることは難しく、2020年代に入っても利用者減少を背景に、JR北海道の一部区間や各地の第三セクター鉄道では廃線や運行見直しの議論が続いています。観光列車は「赤字路線を救う切り札」ではなく、地域全体の観光や宿泊、飲食と組み合わせて経済効果を生み出す地域活性化策の一つとして位置付けられるようになりました。
観光列車という線香花火の最後の輝き
2016年、地方鉄道は観光列車に地域再生への希望を託しました。美しい車両や沿線の景色、地元の食を楽しむ「目的地となる鉄道」は、多くの観光客を呼び込み、実際に人気を集めた路線も少なくありませんでした。今も高い人気を維持し、地域の観光を支える存在となっている観光列車は数多くあります。
一方で、この10年で見えてきたのは、観光列車だけでは人口減少という大きな流れを変えることは難しいという現実です。鉄道が衰退したから地域が寂しくなったのではなく、人口が減り、学校や商店が姿を消し、人々の暮らしが変わった結果として、最後まで地域に残っていた鉄道にも、その影響が及んだのでした。
そう考えると、観光列車は人口減少社会に抗う「線香花火の最後の輝き」のようにも見えてきます。その輝きは地域の魅力を照らし、多くの人の記憶に残りました。しかし、それは人口減少という時代の流れを止める光ではなく、地域への想いを少しでも長く灯し続けようとした、小さくも力強い光だったのかもしれません。
10年後の未来
2016年、地方鉄道は観光列車に地域再生への希望を託しました。人口減少で地元の利用者が減る中、地域に住む人を増やすことは難しくても、数時間でも一泊でも滞在する「仮の住人」を増やそうという発想でした。実際に人気を集め、今も地域の観光を支える観光列車は少なくありません。
この10年を振り返ると、その構図は地方鉄道だけの話ではなかったように思えます。人口減少が進む日本は、外国人観光客や短期滞在者を迎え入れ、まるで全国が一つの「観光列車」のような姿になりつつあります。住む人を増やす時代から、訪れる人を増やす時代へ。社会全体が同じ方向へ舵を切っていました。
もちろん、旅行者のインバウンドは地域や日本経済を支える大きな力です。しかし、それは人口減少という流れを変えるというより、その流れの中で少しでも長く輝き続けるための知恵なのかもしれません。観光列車は、一つの路線の挑戦ではなく、人口減少社会を迎えた日本そのものの姿を、少し早く映し出していたのでしょう。
