「仏各地でブルキニ禁止広がる」「海辺の水着めぐり論争 宗教と公共秩序の境界で対立」

2016年8月22日の報道概要

 フランス南部の自治体を中心に、イスラム教徒の女性が着用する全身を覆う水着「ブルキニ」の着用を海岸で禁じる動きが広がっている。現在、少なくとも15の自治体が禁止措置を導入したとされ、ニースやカンヌなどの観光地でも規制が実施されている。

 自治体側は、公共の秩序や衛生、安全、フランスの世俗主義(ライシテ)などを理由に挙げている。7月14日にはニースでトラックが群衆に突入し、86人が死亡する事件が発生するなど、2015年以降、各地でテロ事件が相次いだ。それを受け、市民の間でイスラム過激主義への警戒が高まり、ブルキニをめぐる規制が新たな論争となっている。

 一方、禁止措置に対しては、服装を理由に海岸から排除することは個人の自由や信教の自由を侵害するとの批判も出ている。政府内でも意見が分かれており、マニュエル・バルス首相は自治体による禁止を支持しているものの、政府として全国一律の禁止法を制定する方針は示していない。

2016年8月当時の背景

ブルキニは、オーストラリア在住のデザイナー、アヘダ・ザネッティ氏が2004年に考案した水着で、「ブルカ」と「ビキニ」を足し合わせた造語です。イスラム教徒の女性が宗教上の慎みを保ちながら、海水浴やスポーツを楽しめるようにすることが目的でした。その後、イスラム教徒向けの衣料品市場の拡大とともに普及し、フランスでも着用されるようになりました。

フランスでは、宗教を公共空間から切り離す「ライシテ」を重視する考え方が根強く、イスラム教徒の服装をめぐる議論も以前から続いていました。2004年には公立学校で宗教的な標章の着用を制限する法律が成立し、2010年には公共の場所で顔を覆うことを禁じる法律も成立しています。こうした社会的な議論の延長線上で、2016年には「宗教的な服装を海岸でどこまで認めるのか」という新たな問題が浮上しました。

2026年現在の状況

 2016年に広がった海岸でのブルキニ禁止措置は、国務院の判断によって大きく方向転換しました。国務院は2016年8月26日、ヴィルヌーヴ・ルベの規制について、服装によって宗教的所属を示す人の海岸利用を禁じることは、具体的な公共秩序上の危険がない限り認められないと判断しました。9月にも同様の判断が示され、ブルキニそのものを理由とする海岸規制は大きく後退しました。

 一方、論争は消えたわけではありません。2022年にはグルノーブル市が市営プールの規則を変更し、ブルキニを着用できるようにしましたが、国務院は、宗教的要求に応じた特定の利用者だけへの例外を設けることが、公共サービスの中立性や利用者間の平等を損なうとして停止を支持しました。

 さらに2025年には再び海岸での禁止をめぐる訴訟が起こり、マンドリュー=ラ=ナプールの禁止措置は行政裁判所によって停止されました。現在でもプールをめぐる自治体の規則が争われており、ブルキニをめぐる問題は「禁止するか、認めるか」だけでなく、どのようなルールなら利用者全体に公平に適用できるのかという問題へ移っています。

ブルキニを着用したおとなしい人と、水着を着用した騒がしい人

ブルキニをめぐる問題は、宗教や法律だけでなく、フランスと日本の「公共の場」に対する感覚の違いも浮かび上がらせます。どちらも個人の自由を尊重する社会ですが、何を「公共空間への配慮」と考えるかには違いがあります。

フランスでは、宗教を個人の自由として認める一方、公共の場は特定の宗教から中立であるべきだという「ライシテ」の考え方が強くあります。そのため、宗教的な服装が公共空間に持ち込まれること自体が問題になることがあります。

一方、日本では、宗教的な服装を見ても「本人の自由」と受け止められることが多く、むしろ周囲に迷惑をかける行為のほうが気にされます。極端に言えば、フランスが「公共の場で宗教色を出すな」を気にする社会なら、日本は「公共の場でうるさくするな」を気にする社会ともいえます。

10年後の未来

ブルキニをめぐる問題は、社会に不安が広がったとき、人がどのように「連想ゲーム」を始めるのかを考えさせます。「テロが起きる」→「イスラム過激主義への警戒が必要だ」という連想には、ニュースや事実に基づく部分があります。ところが、そこから「イスラム教徒」→「肌を隠す服装」→「不安を感じる」→「だから規制する」とつながると、途中で大きな飛躍が生まれます。

こうした構造は、ブルキニだけの問題ではありません。日本の同和問題や、世界各地の人種差別でも、ある集団に特定のイメージが結び付けられ、そのイメージが個人にまで当てはめられることで、偏見が生まれてきました。

連想すること自体は悪いことではありませんが、危険を予測するには、さまざまな情報を結び付けて考える必要があります。大切なのは、「この2つは本当に関係があるのか?」と途中で立ち止まることです。ブルキニもまた、そんな「負の連想ゲームの被害者」の一つだったのかもしれません。